キャリア

電車が止まって会社にいけない・「自分で判断」の本当のあり方

先日は台風で電車が朝から動きませんでした。で、何かのSNSで「休んでいいよ」がホワイト企業、「絶対来い」がブラック企業、「自分で判断して」がクズ企業(?)みたいなものがあったと聞きました。(言葉は正確ではないですが、本質はあっています)

これを聞いたとき、どう思いましたか?

私は、やっぱり日本って成熟していないんだなって思いました。「自分で判断」はそんなに悪いこと?本来、個人の判断が尊重されるべきなんじゃないの?と。

とはいえ、自分の判断が尊重される=甘やかすということではありません。今日は、そんなことを書いてみようと思います。

(なお、今回のような場合、会社は社員の安全を最優先に考えるべきだと思うので、その上での指示がベストであって、自分で判断させ無理に出社させてしまうのは避けるべきだと思います。なので、そうしたケースは除き、一般的に「個人の判断」ということの捉え方について書いていこうと思います)

優先されるべき人

いうまでもないですが、今回のような大変な時でも絶対職場に行かないといけない人はいますよね。病院関係の方や老人ホームの方や介護の方など、人の命に関わったり、誰かのサポートをしないといけない方。交通機関の関係者の方や警察官、消防関係の方など非常時出動しないといけない方など。

限られた状態でしか動けない交通機関なら、そうした絶対に行かないといけない人に優先的に使ってほしいものです。

こんなことは私が書かないでも、きっとみんな思っていますよね。

なぜ、行くの?

「なぜ、出勤するんですか?」というインタビューを聞いていると、「私より遠い人が出勤するんで、私が出ないわけにいかない」「電車が動いたのならいけないわけには行かない」とか。そこに自分の意思や目的はないし、必然性も全然ないんですよね。

それなら、もしインフルエンザになっていたら行かないわけで、行かないでもなんとかなるということで。

家が近くてもお子さんの学校が急に休校になったら出勤できないでしょうから、その人の状況はその人でないとわからないですよね。自宅遠近で決めることでもないのかなと。

本来なら、自分の安全、仕事への影響、他者への影響(他に優先される人がいるとか)などを鑑みて自分で判断する。そして会社もその判断を尊重する、それが健全で成熟した大人の社会だと思いませんか?

(ただ重ねて言いますが、今回のような場合は、会社は社員の安全を最優先に考えた指示を出すのが正解だと思います)

「自分で判断」は甘えていいよ、ではない

「自分で判断」を尊重するというのは、なんでもあり、ということとは違います。自分の判断に責任を持つというもの。

たとえば、私は外資で働いていましたが、基本的には休憩も休暇も自由です。ですが、それは与えられた役割を果たせていれば、の話です。もっとカンタンにいうと、「やることやってれば、あとはご自由に」というわけです。

裏を返すと、どんなに頑張っても結果が伴っていなければバッサリです。努力賞はないんです。日本の場合、「あれだけガンバったんだから」と思ってもらえる部分がありますが、それはないということです。

まとめ

自分のことは自分が一番わかるだろうからと、個人の判断を尊重する社会は、言い換えれば「主体性のある個人で作られる社会」ではないかと思います。

もちろん海外と日本は文化が違いますし、どちらがいいかは価値観により違うかもしれませんが、もう少し、他の人の動向や他の人にどう思われるか?に振り回されることなく、誰かの指示を仰ぐことなく、主体性を持って考え、行動できるようになると、人生はもっと楽しくなる、そう思えるのです。

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